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2006年07月31日
予期しない言葉~(溝の口 美容室タッチミー 僕チャン編)
あれは、忘れもしない
2006年7月30日午前11時17分の出来事です。
その日のお天気は晴れのいい~感じで、、、
店のスタッフ様は様々にお仕事をしていたので、ボクが店の予約の電話に出たのでした。
ここからは、お客様と私(ボク)の電話での会話です。
お客様:今日の、3時位にカットで行きたいのですが大丈夫ですか?
私(ボク):担当者のご指名とかございますか?
お客様:5月に行った時やってくれた、”若い男の人”で、お願いします。
私(ボク):5月に担当した”若い男の人”ですか??
お客様:ハイ、”若い男の人”でお願いします。(キッパリ)
私(ボク):5月に??担当した??”若い男の人”ですかぁ~?
お客様:”5月に担当してくれた若い男の人”で!(きわめてキッパリ)
私(ボク):ゴガツ、タントウワカイ、オトコノヒト”?
お客様:・・・・・・・・・・・・・
お客様:・・・・・・・・
お客様:・・あのぉ~
お客様:ヘアメイク タッチミーですよね!
私(ボク):ハ・ハ・ハイ・わかい、ワカイ、若い男の人?
お客様:ハァ・ア・ア
私(ボク):い・いや・・ハ・ハイ
私(ボク):担当若い男の人で3時にお待ちしております。
なぜ、私(ボク)とお客様の電話で会話にこんなにもスムーズさに欠けるかと言えば・・・
5月の段階で、カットが出来た男の人は、店に僕しかいないと言う事実なのです!
そんでもって、お客様のご指名が・・・若い男の人って!
その自称?じゃなかった他称、、若い男の人は、違う意味で緊張して
カットしていたって事でした。
それを見ていた、君たちぃ~笑てちゃ~駄目よ!
あまりに予期しない言葉って、
人を無口にさせるものなのです!
それに、
見せかけの若さって、維持するの大変なのよねん!
最後にですが・・・私(ボク)の心の中は、複雑に晴れていましたって・こ・と・・・
・・・・・・ロックンロ~ル よろしく!
投稿者 Melody : 2006年07月31日 20:38
コメント
「若さ」について書かれたいい詩があります。
青春の詩 サミュエル・ウルマン
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年
月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 失望と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。
(脚注) 逞しき(タクマしき)がっしりしてつよい
怯懦(キヨウダ)おくびょうで気の弱いこと
却ける(シリゾける)後退させる
孤疑(コギ)疑ってためらうこと
恰も(アタカも)まるで ちょうど
芥に(カイに)ごみ
曰く(イワく)言うのには
星辰(セイシン)星のこと、辰は天体のこと
欽仰(キンギョウ)つつしみあおぐ
剛毅(ゴウキ)意志が強固で不屈なこと
悲歎(ヒタン)悲しみ嘆くこと 歎は嘆と同じ
蔽い(オオい)遮蔽する
エリィック・クラプトンが大好きな、見た目の若いチョイワル・オヤジです。
投稿者 不良中年 : 2006年08月06日 21:43
8月6日に載せた日本語訳より、解りやすい訳を見つけので、
皆さん暇なときに読んでみて下さい。
原文は次のURLです。
http://www.prmvr.otsu.shiga.jp/library/master/SamuelUllman/Youth.html
青春
サムエル・ウルマン 宇野収、作山宗久訳 三笠書房
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青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。
投稿者 不良中年 : 2006年08月08日 17:11
コメント有難うございます。
イヤー、哲学的な内容で私(ボク)なんかの頭では理解に苦しみます。
私(ボク)なんか、青春について考えた事無かったですから
私(ボク)が、考えられるのは・・・・
文豪が書く文章(詩)って、崇高なものなのですね~!
・・・・って、事ぐらいです。
何事も心の持ち方で・・・・
・・・ぐらいは分かりますが、その後の文章は、
今後少しずつではありますが、勉強させていただきます。
投稿者 スズキ : 2006年08月08日 19:30
分かりづらいというので、表現を現代風に変えた日本語訳をまた見つけました。
けっこう原文と違って自由訳のスタイルですが……。
気が向いた人は、よかったら読んでみてください。
『若さとは』 サムエル・ウルマン 自由訳・岡部敬史
若さとは、人生のある期間を指すのではなく、心の中身のことを指す。
肌の張りとかツヤ、体の柔らかさといった身体的特徴なんて、若さとは関係ない。
大切なのは、意志の強さ、想像力の豊かさ、情熱の絶対量といった心の中にあるもの。
心の中が充実している限り、人というものは、ずっとイキイキとしているのだ。
また、“若い人”とは、描いていた理想を安易にあきらめて楽な方向に流されたりはしない。
多少の困難があろうとも信念を貫き通す力を持っているものだ。
こういった力は、実は、二十歳の人よりも六十歳の人のほうが持っていることが多い。
そう。つまり、人は年を重ねただけでは老いない。理想を失うことで老いるのだ。
月日の流れは単に肌の皺を増やすだけだが、理想を失うことは魂に皺を増やすことになる。
そして心配、恐れ、自己不信――。こういったものが心を老化させ、気力を奪い取ってしまうのだ。
胸に手を当てて感じてごらん。
すべての人の心には、子供のような尽きることのない好奇心と人生を楽しみたいと思う気持ちが満ちているはずなんだ。
ほら、みんなの心には、そういった楽しみをキャッチするアンテナがあるだろ?
そのアンテナで、いろんな人から発信された「美しいもの」や「希望に満ちたもの」「喝采に値するもの」「勇気を与えてくれるもの」、そして「生きる力」といった「温かなメッセージ」を受け取っている限り、みんな若いままでいられる。
ただ、そのアンテナが働かなくなって、心が冷たくなってしまったのなら、たとえ20歳であったとしても、老化は始まってしまう。
でもね、アンテナが「温かなメッセージ」を受け取っている限り、人は“80歳という若さ”で死ぬことだってできるんだよ。
文学にも興味を持っている、理系のチョイ・ワルオヤジです。
投稿者 不良中年 : 2006年08月08日 21:32
ちょっと、分かったような・・・・
・・・・:・・・・・・・・・・
私(ボク)の心の中は、複雑に晴れましたって・こ・と・・・で~・・・・
・・・・・・ロックンロ~ル よろしく!
投稿者 スズキ : 2006年08月09日 22:42
ここの所忙しいので(音質をグレードアップしたマイクを製作している)私が言いたいことを書いてある文章を見つけたので、
引用します。コピー&ペーストばかりですいません。
「若さとは」
熟年や老人のための○○教室がさかんに行われるようになって久しい。その入校式や卒業式の言葉にサムエル・ウルマンの「青春」という詩が引用されることが多い。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう
・・・・・・・
・・・・・・・
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある
年を重ねただけで人は老いない、理想を失うとき始めて老いる
・・・・・・・
・・・・・・・」
という詩である。
全くその通りだと思う反面、肉体的な衰えは認めざるを得ない老人の負け惜しみみたいに聞こえるのは私だけだろうか。
若く見られることが嬉しいのは、何歳位からだろうか。
一人前の大人として扱われたいと思う20歳前後の頃は、若く見られることを恥ずかしく思い、ふけて見られることを喜ぶ年代だろう。40歳を過ぎるとこれがまったく逆になるようだ。
還暦を迎える私も、50歳台に見られると(そんなことは全くないが)気分がいいが、65歳と言われるとがっかりする。
つい最近の出来事だが、80歳を超えたばかりの母が90歳と言われて憤慨していた。
最近の若者は年齢より若く見えることが多い。テレビの街頭インタビューで「君達、高校生?」、「いえ、大学生です」というようなやりとりがよく見られる。
すべての若者というわけではないが、歳相応の知性が感じられない若者が増えている。
私が中学生や高校生の頃出会った大学生は、れっきとしたおじさんだった。
この若返り(幼な返り)現象はのはいつの頃からだろうか。
私たちが高校生の頃は、大学に進むのは今ほど一般的ではなかった。
大学に入ってからは遊びもしたが、本も読んだものでした。付和雷同的な面もあったが「安保反対闘争」デモに参加したりもしたものです。
今の若者たちは本も読まない、政治や社会にも無関心な人たちが増えている。
日本がバブル景気に浮かれ始めた頃から、この若返り現象が顕著になった気がする。
平成の時代に入った頃には株価は下落し始め、バブル崩壊の兆しは見えてはいたが、就職戦線ではまだ売り手市場だった。
求人のための会社説明会をフルコースの昼食付きで行うのは当たり前、中には自動車を与えて内定をとる会社まで出るような時代だった。フリーターの増加もこの時代であった。
このような時代、学生達は勉強しなくても、どこかの企業に入ることができ生活の苦労をすることはなかった。
時代は変わり、株価低迷、超デフレ現象、企業業績の低迷からくる就職難時代となった。
しかし、学生の勉強しない習性は変わらなかったようだ。就職試験に携わったことがあるが、あきれるほどの低学力に唖然としたことは記憶にあたらしい。
今朝の新聞のコラム欄に、ある化粧品会社の女性支社長の「四つの年齢」というエッセイが掲載された。若く見える人、ふけて見える人がいるのは「四つの年齢」に関係があると言う。
一つ目は「暦の年齢」、二つ目は「精神的年齢」、三つ目に「生理的年齢」、そしてこれら三つの年齢の総合で「見かけの年齢」が決定されると書いてあった。
この見かけの年齢は加齢とともにその差が広がり、25歳の時は差が4歳ほどだが、45歳になると12歳の差で、39歳に見える人もいれば51歳に見える人もいる。
さらに65歳になると、その開きは16歳に広がり、57歳に見える人もいれば73歳に見える人もいる。
そして最後に、「より一層美しく若々しく年を重ねていくには、美しいものを見て、聴いて、食べて、身につけて、香るの五感刺激も忘れずに」と結んであった。
女性向けの部分もあったが、男にとってもまさにその通りだと感じた。男は化粧こそしないが(最近はする人もいるが)、にじみ出る男の色気が備わってくるものだ。
好奇心を失わないこと、興味をもったことはやってみる。やれるだけの知力、体力を維持することが、結果として若さを失わないことになると思っている。
ただ、見せかけ年齢の数値の相関関係がどうしても割り出せない。たとえば60歳のときはどうなるのだろう。いつか機会があったら、この女性支社長に聞いてみたい。
投稿者 不良中年 : 2006年08月10日 09:13
不良中年さんのコメント
ぜ~んぶ、全部読ましていただきました。
フゥ~!
私(ボク)の頭もグレードアップしたぜぇ!
マジ・グレイトたぜぃ!
ロ~ックンロ~ルゥ~を、ヨロシク・ってた・ぜぇぃ~!
投稿者 スズキ : 2006年08月10日 09:40